第4室 1 『信長公記』とその研究書

 

織田信秀・信長の1級資料『信長公記』

織田信秀・織田信長に関する同時代史料として、必ず真っ先に挙げられるのが、太田牛一『信長公記』です。『信長公記』そのものに加え、概要紹介書、研究書について、以下に内容を紹介致します。

 

太田牛一 (奥野高広・岩沢愿彦 校注) 『信長公記』 角川文庫 1969

角川文庫 信長公記 表紙写真

織田信長・信秀の研究書で使われている『信長公記』といえば、ほとんどの研究書でこの角川文庫版が使われていますので、本歴史館でもこの角川文庫版を使用しました。底本は「陽明文庫」本です。

角川文庫版の特徴は、原文に対し、「読み下し文に改め、振仮名・脚注を施して読者の便をはかった」(「はしがき」)という、最小限の変更を加えただけのものであることです。つまり、原文の雰囲気をほぼそのままを味わうことが出来る点に、最大のメリットがあります。

ただし、戦国期~江戸最初期の文章ですので、読み下し文で振り仮名があっても、そのままでは意味が理解できない箇所が多数あります。付けられている脚注で、かなりの箇所はその意味が理解できますが、すべて分かる、という訳にはなかなかいきません。そこで、すぐ下に挙げているような、現代語訳版も頼りにすることになります。

『信長公記』は、首巻と巻1~巻15の全16巻からなっていますが、本歴史館で対象としているのは、そのうち首巻のみです。本歴史館で『信長公記』に触れている箇所では、必ず「首巻1」というように数字を記していますが、これは、角川文庫版の首巻の見出し番号です。この見出し番号は、他の版ではなかったり、異なっている可能性がある点、ご注意ください。

ただし、この角川文庫版の脚注・補注には問題点があります。その記事の事件がいつ起こったことか、あるいは一部の場所の現在の地名の比定などについて、注記の内容が古く、今となっては旧説化してしまっているものが、少なからずあることです。出版が古く、その後改訂もなかったためです。この点だけは要注意です。この角川文庫版の注記改訂版が出されると、一番望ましいのですが。

ともあれ、現状では、織田信秀・織田信長について良く知りたい、というとき、やはりこの角川文庫版は必須の史料と言えるように思います。角川文庫版『信長公記』はすでに絶版となっていますので、新本が買えませんが、「日本の古本屋」サイトあるいはAmazonなどのインターネットサイトで、古書を容易に入手できます。

本歴史館では、本文中のほとんど全てのページで、本書からの引用等を行っています。

 

太田牛一 (中川太古訳) 『現代語訳 信長公記』 角川新人物文庫 2013

角川新人物文庫 現代語訳 信長公記 表紙写真

上掲の角川文庫版は、原文の雰囲気を味わうことが出来る点で、大きなメリットがありますが、原文のままでは意味が分かりづらい箇所も少なくありません。そこで、すらすら読めて意味も良く分かる現代語訳本にも、メリットがあります。

現代語訳本は、この角川新人物文庫版以外にもありますが、他と比較は行っていませんので、これが最善の現代語訳本かどうかは分かりません。この新人物文庫版の現代語訳の底本は、桑田忠親校注の新人物往来社版を使用し、ときに角川文庫版を参照した、とされています(「はしがき」)。

この新人物文庫版については、2つの問題点があります。

第1に、各記事の発生年月日や場所の現在の地名への比定などについて、旧版の注記をほとんどそのまま引き継いでいる点です。そのため、角川文庫版と同様、旧説化してしまっている注記が少なからずある点に要注意です。

第2に、記事の配列が原典(および角川文庫版)と異なっている点です。原典では、記事が年月日の順に配列されていないので、配列順を変更して年月日の順に改めた、としています(「はしがき」)。意図としては良いサービスなのですが、事件発生の年月日の理解が旧説のままであるため、せっかくの配列順の変更が、結果的に現在の通説とは異なっている箇所があります。また、角川文庫版を読みながら現代語訳を確認したい、という使い方をする場合、配列が異なっていて多少厄介です。

こうした問題点はあるものの、とにかくすらすら読めるというメリットは大きいので、本書にも十分な価値があります。まずは現代語訳ですらすら読んだのちに、角川文庫版でじっくり原文の雰囲気を味わう、そのとき意味が解らない箇所が出てきたら本書で意味を再確認する、というような使い方が一番良さそうです。

なお、本歴史館での『信長公記』からの引用・要約については、基本的にすべて角川文庫版を使用しており、そのさい必要に応じこの新人物文庫版を参照しつつ、本歴史館が現代語化しています。もしも現代語化にあたって間違いが発生していましたら、それは全て本歴史館の責任です。

 

 

『愛知県史 資料編 14 中世・織豊』 愛知県 2014
(『信長公記 首巻』 陽明本・天理本を所収)

この『愛知県史 資料編 14』には『信長公記 首巻』の陽明本・天理本の両方が所収され、また解説が付されています。史料集ですので、字体を常用漢字・通用漢字に変えられていること、適宜読点・並列点が付されていることなどを除き、原典原文のままです。角川文庫本のような見出し番号もありません。言葉の意味を説明してくれる脚注等もありません。

陽明本は、角川文庫版の底本でもありますが、『愛知県史』では上記の原則が適用されていますので、例えば、首巻冒頭部の表記には、下記の相違があります。
● <角川文庫版> 去程に尾張国八郡なり。上の郡四郡、織田伊勢守、諸侍手に付け進退して、岩倉と云ふ処に居城なり。
● <愛知県史版> 去程尾張国八郡也、上之郡四郡、織田伊勢守、諸侍手に付進退して、岩倉と云処ニ居城也、

この愛知県史版は、天理本の首巻も所収されていることに最大のメリットがあります。本歴史館の本文にも書きましたが、首巻について、天理本は他の伝本とは異なる記述となっている箇所があります。「天理本のほうが信長の真姿としては祖型に近いのではないか」という説(桐野作人『織田信長』)もあります。

しかし、天理本についてのみ『甫庵信長記』と類似の内容があること、天理本独自の記述中に、尾張の地理に詳しくないことが原因とみられる、尾張出身の太田牛一・小瀬甫庵なら考えにくい内容の誤りがあること、が指摘されています(本『愛知県史』の解説)。

尾張の地理に詳しくないとは、尾張国境から20キロ近く離れた三河岡崎南方の小豆坂を「尾張国境目」、末盛から3キロ半も離れていて間には矢田川も流れている守山を「末森之並(ならび)」と記述していることです。確かに、太田牛一・小瀬甫庵以外の、尾張国の地理を知らない人物の関与が確実と思われますので、これが「祖型」とはとても言えないでしょう。

一方、天理本の成立時期ですが、「近年の研究によれば、出雲国松江藩主堀尾家によって「国籍類書」の一書として寛永年間(1624~44)前半に書写・編冊されたもの」(『愛知県史』 本巻の 解説)ということですので、その成立は、慶長16(1611)年末とされる『甫庵信長記』の初刊よりもずいぶん後のことになります。

もちろん、天理本の原型が先に成立していて甫庵に影響を与えた、という可能性もないわけではありませんが、尾張国の地理を知らない人間の関与が確実であることからすれば、天理本は祖型であるどころか、『甫庵信長記』刊行後にその影響を受けて、太田牛一でも小瀬甫庵でもない尾張の地理に詳しくない人物の関与によって成立した、とみる方が妥当のように思われます。

本『愛知県史』所収の『信長公記』は、あくまでご興味があれば、という位置づけになります。なお、『愛知県史』は、通常の出版ルートに乗っていません。Amazonや楽天ブックスなどでも販売されていません。図書館でも借りられないので入手したい、という方は、愛知県の県史編さん室に購入申し込みをいただく必要があります。

この『愛知県史 資料編 14』と『信長公記 首巻』天理本については、本歴史館の中の以下のページで引用等を行っています。

「第3室 織田信長 11 桶狭間合戦 2 合戦の経過」

 

藤本正行 『信長の戦争 - 『信長公記』に見る戦国軍事学』 講談社学術文庫 2003
(初刊 『信長の戦国軍事学』 JICC出版局 1993)

藤本正行 信長の戦争 表紙写真

桶狭間合戦の定説を、かつての迂回奇襲説から正面攻撃説に変えさせるきっかけとなった本です。それだけでも価値が高いのですが、『信長公記』の成り立ちや著者太田牛一の執筆スタイル等について解説した本書の「序章」も、高い価値があるように思います。

「序章」には、以下の内容が含まれています。
● 著者、太田牛一の経歴、
● 著書、太田牛一の執筆方法
● 『信長公記』の構成
● 『信長公記』の執筆時期
● 各伝本間の相違
● 『信長公記』と『甫庵信長記』の相違

太田牛一と『信長公記』の解説としては、他書と比べ、内容の網羅性と分かりやすさから、本書の「序章」がもっとも優れているように思われます。

以下は、この「序章」の記す太田牛一の経歴を、きわめて簡略に整理・要約したものです。

● 牛一は大永7年(1527)、尾張国春日井郡山田庄安食(現名古屋市北区内)生まれ(信長より7歳年長)。
● はじめ山田庄の常観寺にいてのちに還俗。
● 青年期から壮年期にかけては信長のもとで第一線の戦闘員、清須クーデター時の中市場合戦にも参加、特に弓矢が得意で堂洞城攻めでは信長から弓矢の腕を褒められた程。この実戦経験のゆえに、合戦の記述は要点が簡潔に記されている。その後は官僚的な職務に重点が移ったらしい。
● 本能寺の変で信長が死ぬと、いったんは隠棲するも、のち豊臣秀吉に仕え、秀頼にも仕えた。
● 慶長15年(1610)に84歳で健在であったが、その後消息が途絶えた。慶長15~16年頃死去と思われる。

寺での教育で文章が書けるようになったこと、実際の合戦を戦闘員として経験したことなど、牛一の経歴のすべてが、『信長公記』を書くのに活かされた、と言えるようです。

一方、『信長公記』がいつ書かれたかですが、やはり本書の「序章」をごく簡略に要約すると、下記と考えられるようです。

● 『信長公記』は牛一が信長の在世時に書いた記録をもとにして執筆されたものであり、『信長公記』自体が、部分的には信長の在世中に成立していた可能性も考えられる。
● 『信長公記』は、首巻と15帖の構成、〔出版はされず〕、牛一の自筆本(4点)のほか、江戸時代の写本など伝本が40点ほどある。首巻は自筆本はない。伝本間には、ほとんど異同のないものも、そうでないものもある。原因の一つは、誤写・誤読。もうひとつは、信長・家康への敬意の払い方。最も古態は、信長を「上様」。新しいものは、家康が「家康公」「家康卿」「家康殿」など。現代的な意味での決定稿は存在しない。

すなわち、『信長公記』の内容の一部は、信長存命中(1582年の本能寺の変以前)からすでに世に出ていた可能性があり、その後1610(慶長15)年までに、本人自筆の手書き本やその写本が読まれていたものの、出版されたわけではなかったので、幅広い読者を獲得することはなかったようです。ただし、『信長公記』は、その成立の事情と同時代性から、織田信長に関する第1級の史料であることが良く分かります。

本書、藤本正行『信長の戦争』は、織田信秀・織田信長を深く知りたい、『信長公記』をしっかり読みたい、と思っておられる方には、間違いなく最も基本的な必読書の一つであると思います。

本書からは、本歴史館の本文中の下記のページで、引用等を行っています。

第2室 織田信秀 11 道産との和睦、信長の結婚・濃姫

第3室 織田信長 3 清須クーデター~清須城乗っ取り

第3室 織田信長 10 桶狭間合戦 1 合戦の準備

第3室 織田信長 11 桶狭間合戦 2 合戦の経過

第3室 織田信長 12 桶狭間合戦 3 今川義元の敗因

第3室 織田信長 14 森部・十四条の合戦 - 美濃攻めの開始

 

和田裕弘 『信長公記 - 戦国覇者の一級資料』 中公新書 2018

和田裕弘 信長公記 表紙写真

本書の目的は、『信長公記』の記事の中から、興味深いと思われる項目を抜粋して解説を加えていく、その際各伝本も含めて取り上げることで、『信長公記』を幅広くかつ正確に読み込んでいく、また最新の信長研究の成果も盛り込むこと(「はじめに」)。ー すなわち、ひとことで本書の性格を表そうとすると、『信長公記』の抜粋解説書、『信長公記』に基づく簡略信長伝、ということになるかと思います。

「『信長公記』とは」という「序章」に続き、『信長公記』の内容が、「尾張統一と美濃併呑」「上洛後」「安土時代」「天下布武へ」という4章に分けて抜粋解説されています。本歴史館が対象としている首巻部分は、本書の「第1章 尾張統一と美濃併呑」にあたり、ページ数では本書全体の4分の1強を占めています。

本書の第1章では、首巻部分から、「尾張の織田一族」「父・信秀」「斎藤道三」「信長の兄弟」「若き日の信長」「桶狭間の戦い」「信長の居城」「美濃三人衆」という8つの項目が選び出されて、解説が加えられています。

わずか260ページほどの新書という制約から、本書がテーマを絞った抜粋解説にならざるを得なかったのはやむをえないと思いますが、本書では、記述中に、典拠となる史料名や研究書名・研究者名等があまり挙げられていません。これでは、記述内容の詳細確認ができません。本書には参考文献リストもなく、さらに発展的な読書をするための情報が全く得られません。

史料名・研究書名・研究者名があまり挙げられてないことから、本書は、研究書ではなく「読み物」と評価せざるをえません。内容的には研究書水準にあり、かつ分かりやすい文章となっているだけに、せめて巻末に参考文献リストがあれば良かったと思います。この点、誠に残念な気が致します。

 

 

次は、 『三河物語』『松平記』など、織田信秀・信長の時代から間もない、江戸時代初期の史料のうち、本歴史館の作成で参照したものについての内容紹介です。