4-7 織田氏に関する資料・研究書

 

織田氏と信秀・信長に関するその他の研究書

ここまで、『信長公記』 および 『三河物語』 や 『松平記』 などの同時代史料、横山住雄氏・村岡幹生氏・小和田哲夫氏の著作、県史・市史・町史などの自治体史についてみてきました。

ここでは、織田氏と信秀・信長に関する資料・研究書で、上記以外で本歴史館が参考にしたものをご紹介します。

 

 

柴裕之編 『尾張織田氏』 (論集・戦国大名と国衆6) 岩田書院 2011

本書は論文集であり、「織田信長による尾張平定までの尾張織田氏に関する主要な7本の論考を収めた」ものです。

尾張織田家とは「主として室町時代より尾張守護代を務めた後裔の織田大和守・織田伊勢守の両家と、戦国時代に台頭した庶家の織田弾正忠家」のことであり、それに関する「系譜、権力様態・基盤と政治動向」が本書に収められた論文の主題です。(以上は本書「はしがき」)

「織田信長による尾張平定まで」という本書が主題とする対象期間は、まさしく本歴史館の関心と一致しています。

本書には、下記の論文が収録されています。(カッコ内は初出)
● 柴 裕之 「総論 戦国期尾張織田氏の動向」
● 新井喜久夫 「織田系譜に関する覚書」(『清洲町史』所収、1969)
● 杉村 豊 「守護代織田氏の尾張支配 - 文明~天文期を中心として」(『国学院大学大学院紀要』5号、1974)
● 小島廣次 「勝幡系織田氏と津島衆 - 織田政権の性格をさぐるために」(『名古屋大学日本史論集』下巻 1975)
● 鳥居和之 「織田信秀の尾張支配」(『名古屋市博物館研究紀要』19号、1996)
● 下村信博 「織田信秀の台頭」(『新修名古屋市史』第2巻所収 1998)
● 下村信博 「織田信長の登場」(『新修名古屋市史』第2巻所収 1998)
● 横山住雄 「犬山落城・永禄8年説」(『郷土文化』40巻1号、1985)

上記の論文中で、下村氏のものについては名古屋市史の一部を成しているものであり、詳しくはこちらをご参照ください

また、下村氏以外の論文も、どれも一読の価値が大いにあります。本歴史館も、本書は大いに参考にさせていただきました。それらの論文からは、下記のページで引用等を行っております。

第1室 戦国尾張 1-3 斯波氏・織田氏と下津・清須

第1室 戦国尾張 1-4 尾張の上4郡・下4郡

第2室 織田信秀 2-1 勝幡城の信秀

第2室 織田信秀 2-2 弾正忠家の津島支配

第2室 織田信秀 2-4 那古野城の奪取

 

谷口克広 『天下人の父・織田信秀 - 信長は何を学び、受け継いだのか』 祥伝社新書 2017

『天下人の父・織田信秀』 カバー写真

信長の父である織田信秀が記述の主対象であり、しかも信秀の名が書名本題にもなっている、という本は、本書のほかにはないかもしれません。横山住雄氏の著書も、書名の本題は 『織田信長の系譜』 で信秀の名は登場せず、副題の「信秀の生涯を追って」でようやく出てくるだけでした。

本書は、第1章~第5章+終章という構成で、第1・2章は尾張織田氏と信長元服以前の信秀、第3章は信長元服・初陣から信秀の死まで、第4章は信秀死後の信長と信勝の後継争い、第5章は信長が信秀から受け継いだもの、終章は信秀の評価、という内容になっています。本歴史館が関心の対象としている信秀および信長の尾張時代にぴったり合っています。

本書は、250ページほどしかない新書版ではありますが、研究書らしさを十分に保持しています。ただし、紙数の制約から、内容が簡略にならざるを得ないのはやむを得ません。一部に著者の見解には同意しがたい記述もありますが、本書全体としては、読みやすく、また信秀という人物の全体像を把握しやすい、よくできた信秀入門書だと思います。その点で一読の価値があります。

テレビにも時々出てくる著名な歴史研究者が著者であり、また新書であり書店の棚に並びやすい本です。ぜひ本書を手に取っていただければと思います。結果として織田信秀に関心を持たれ、さらに横山住雄氏はじめ他の研究者の著書にも進まれる方が増えることを願っております。

本歴史館では、以下のページで、本書からの引用等を行っています。

第2室 織田信秀 2-3 三河の状況と守山崩れ・伊田合戦

第2室 織田信秀 2-11 道三との和睦、信長の結婚・濃姫

第2室 織田信秀 2-15 信秀の死と後継問題

第3室 織田信長 3-1 今川の八事出陣

 

桐野作人 『織田信長 - 戦国最強の軍事カリスマ』
KADOKAWA新人物文庫 2014 (初刊 新人物往来社 2011)

本書は、もともとは 『歴史読本』 に2008~2011の3年半に計42回連載されたものに大幅に加筆修正されて2011年に出版され、さらに若干の補訂を加えて2014年に文庫本化された、とのことです(「はじめに」「文庫版まえがき」)。歴史作家であり、信長研究者として良く知られた著者による「伝記風の著作」(「終わりに」)です。

本書は、信長を「軍事カリスマ」という視点からとらえる試み(「はじめに」)とされています。信長の「軍事カリスマ」性について、著者は以下の3点を挙げています。「はじめに」からの要約です。

● 信長の尾張時代、若い馬廻・小姓集団からの自発的な支持を基盤に、濃密な主従関係が信長の初期軍事力編成の特質となった。
● 軍事カリスマの強烈な一面として、信長の戦場での特徴的な振る舞い=信長自ら陣頭指揮をするケースが多い。そして『信長公記』に頻出する「懸けまはし御覧じ」=合戦における物見や陣備え、戦術まで信長が采配を振るっている。
● 信長の基本思想や行動基準が軍事・軍政優先、軍事第一主義というべきもの。経済諸政策もそれに還元・収斂する構造。

この3点の指摘には、大いに同感できます。とくに第2項の、『信長公記』 中の「懸けまはし御覧じ」の頻出、という点は、改めて 『信長公記』 を読み直してみて、まさしくその通りと思った次第です。

ただし、本書中で、どうしても同意できない点が2点だけありました。一つは、『武功夜話』 について、「一定の信憑性がある」と評価している点です。どうみても偽書である 『武功夜話』 に信憑性を認めて、それに基づく記述をされるのは、本書の価値を下げてしまいます。歴史小説である 『甫庵信長記』 に基づく記述がある点も、同様です。

もう1点は、『信長公記』 天理本への評価についてです。桶狭間合戦に関する記述で、『甫庵信長記』 に近い記述をしている天理本について著者は、「天理本の方が信長の真姿としては祖型に近いのではないかと考える」と評価しています。しかしながら、天理本についてのみ 『甫庵信長記』 と類似の内容があること、天理本独自の記述中に、尾張の地理に詳しくないことが原因とみられる、尾張出身の太田牛一・小瀬甫庵なら考えにくい内容の誤りがあること、が指摘されています(『愛知県史 資料編14』 解説)。尾張国の地理を知らない人間の関与が確実であることからすれば、天理本は祖型であるどころか、『甫庵信長記』 刊行後にその影響を受けて、太田牛一でも小瀬甫庵でもない、尾張の地理に詳しくない人物の関与によって成立した、とみる方が妥当のように思われます。

とはいえ、上記2点以外については、本書は非常に読みやすく分かりやすい信長評伝であり、大いに読む価値ありと思われます。

本歴史館では、以下のページで、本書から引用等を行っています。

第2室 織田信秀 2-1 勝幡城の信秀

第2室 織田信秀 2-11 道三との和睦、信長の結婚・濃姫

第3室 織田信長 3-10 桶狭間合戦 1 合戦の準備

第3室 織田信長 3-11 桶狭間合戦 2 合戦の経過

第3室 織田信長 3-16 犬山落城と中美濃進出

 

 

次は、信秀・信長と関わりのあった城に関する資料・研究書で、本歴史館が参考にしたものについてです。