4-12 戦国軍事に関する資料・研究書

 

戦国時代の武器、具足、戦法、その他軍事に関する資料・研究書

戦国合戦を正しく理解しようとすると、その時代の武器や武具、軍の組織や戦法など、当時の軍事の詳細についての知識がある程度必要になります。

ところが、残念ながらNHKの大河ドラマで出てくる合戦シーンは、戦国合戦の適切な再現になっておらず、むしろ間違っているようなのです。そこで、ここでは、当時の武器や具足・その他軍事関係の諸々に関して、本歴史館がとくに参考にしたものを、以下にご紹介したいと思います。ただし、この時代の合戦を理解するために読んだだけで、本歴史館の本文中ではあまり引用等を行っていません。

 

 

浅野 長武 監修・樋口 秀雄 校注 『図巻 雑兵物語』 人物往来社 1967

『図巻 雑兵物語』 函写真

戦国当時の軍事・武具の詳細を理解するのにもっとも適切な史料は、やはり 『雑兵物語』 ということになると思います。「下卒練武の要訣として、江戸時代を通じて心ある武人の間に珍重」されてきたものであり、「雑兵30名の功名談・失敗談・見聞談等の形式を借りて、雑兵の陣中及び日常に於ける心得の一般、武具の取扱い、兵器の操作、或は戦場の駆引をはじめ衛生・救急・糧秣・輜重等に至るまでの各般の事項を平易にかつ簡明直截に述べたもの」(岩波文庫版の解説) です。

『雑兵物語』 は、複数の出版社から刊行されていますが、その中では、この人物往来社判の 『図鑑 雑兵物語』 が良さそうに思います。

理由は、以下によります。
● 「雑兵物語」の本編に加えて、「続雑兵物語」も収録されている
● どちらにも、多数の注記が付されている
● 諸卒出立図巻、雑兵全式図巻、足軽中間具足着様も収録されている
● 付録として、武者物語、武者言葉大概も収録されている
● 巻末の解題も分かりやすい

『雑兵物語』 の原典自体に、足軽たちの姿を描いた多くの絵が付されていて、本書でもそれらが掲載されていますが、本書ではさらに多くの追加史料も収録しており、全体として、いわば「イラスト付き戦国雑兵事典」のごとく機能するようになっている、と申し上げられます。実際、戦国時代の合戦を理解するのに、非常に役に立ちます。

「雑兵物語」の成立は、「明暦3年〔1657〕 より降った天和〔1681~1684〕に近い頃と考えられている」(本書解題) とのことであり、信秀・信長の時代からは1世紀ほど経っています。信秀の時代から信長の時代にかけては、主力兵器の弓矢から鉄砲への変化がありましたが、信長以降の1世紀には、城攻め用の大砲が加わったほかは主力兵器の大きな変化もないので、戦場の実態は 『雑兵物語』 の内容と大差はなかったのではないか、と思われます。

本書 『図巻 雑兵物語』 は、新刊では出ていないので、古書を購入されるか、図書館で借りて読んでいただく必要があります。

本歴史館では、『雑兵物語』から、下記のページで引用等を行っています。

第3室 織田信長 3-2 政秀の諫死・道三との会見・赤塚合戦

第3室 織田信長 3-10 桶狭間合戦 1 合戦の準備

 

かも よしひさ 訳・画 『現代語訳 雑兵物語』 ちくま文庫 2019
(初刊 講談社 1980、再刊 『新版 雑兵物語』 バロル舎 2006)

『現代語訳 雑兵物語』 カバー写真

『雑兵物語』の現代語訳版です。

『雑兵物語』の原文は、「その表現が奴言葉 (やっこことば) といわれる〔当時の〕日常語・方言をまじえている点で国語・方言研究者に珍重されてきた」(人物往来社版の解題) というぐらいですから、決して読みやすいものではありません。

加えて、当時の武器や具足とその用法等に関する特殊な技術用語が多用されています。上掲の人物往来社版『図巻 雑兵物語』には、同時の特殊な技術用語等についておびただしい注記が付されていますが、その分、さらりとは読めません。

その意味で、現代語版の存在は本当に助かります。このちくま文庫の現代語訳版をまずさらりと読んで一応の理解をした上で、人物往来社版の注記つき原文に当たるのがもっとも良さそうに思います。

本書に収録されているのは、『雑兵物語』 の本編+「絵解 雑兵物語」であり、「絵解」の方は、当時の武器・具足等についてのイラスト付き解説です。なお、本書のイラストは、すべて訳者のかもよしひさ氏によるもののようです。

 

 

 

 

 

中村 通夫・湯沢 幸吉郎 校訂 『雑兵物語・おあむ物語』 岩波文庫 1943

『雑兵物語・おあむ物語』 岩波文庫 表紙写真

『雑兵物語』 の岩波文庫版ですが、『雑兵物語』 を読むためであれば、本書はおすすめしません。原文のみの収録で、頻出している当時の軍事用語への注記が全く施されていないため、本書だけでは理解が困難だからです。

なにしろ、刊行は太平洋戦争の真っ最中の1943年5月、すでに山本五十六は戦死し、学徒出陣が決定されて、日本の敗色が明らかに見えだしたころのこと、物資も不足してページ数は最小限とせざるを得なかったのではないか、と推測します。

本書の価値は、巻頭の解説と、併収されている「おあむ物語」「おきく物語」にあります。

「おあむ物語」は、関ケ原の戦いの際に、石田三成の家臣の娘で、三成方の大垣城にいた女性が、その落城時に体験したことを記したもの。「おきく物語」は、淀殿に仕え、大坂夏の陣での大坂城落城時に城中にいた、菊という20歳の女性が体験したことを記したもの。どちらも、その場にいた人でないと分からない経験が述べられており、ご興味があればぜひ一読されることをおすすめします。

どちらも女性が語り手で、特殊な軍事用語はほどんど出て来ないので、『雑兵物語』 と違い、注記一切なしでも、おおむね理解できます。

なお、「おあむ物語」については、「内容が矛盾だらけ」「ツジツマの合わない箇所が多すぎる」、との指摘 (鈴木眞哉 『戦国史の怪しい人たち』 平凡社新書) もあります。大垣城攻めに来た東軍の大将は田中兵部とされているが、田中兵部が攻めたのは佐和山城であって大垣城ではない、一方、佐和山城なら山城だから、タライに乗って堀を渡ることは出来ない、しかし、大垣城の場合も、堀が何重にもあったのでタライで1回渡れば済むということではなかった、等々。「個々の挿話にはリアリティに富んだ部分もある」ので、「断片的な実話に、筆録者かその関係者があれこれ余計な手を加えてしまった」というのが鈴木氏の推察です。

この岩波文庫版 『雑兵物語』 も、新刊は出ていないので、古書か図書館で、ということになります。

 

藤本正行 『戦国合戦・本当はこうだった』 洋泉社 1997

『戦国合戦・本当はこうだった』 表紙写真

『信長の戦争』の著者・藤本正行氏による、洋泉社ムックの1冊です。

ざっくり言えば、著者の 『信長の戦争』 中に記された旧来説と史実との相違点 + 『雑兵物語』 の解説、で出来上がっているような本ですが、ムックだけあって、写真やイラスト、図版などが多用されていて、分かりやすくなっています。

とくに、『信長の戦争』 や 『雑兵物語』 をまだ読んでいない方には、入門書として大いに価値があると思います。

一方、『雑兵物語』 も読んだ、という方には、同じく藤本正行氏の 『鎧をまとう人びとー合戦・甲冑・絵画の手びき』 (吉川弘文館 2000)がおすすめかも知れません。

こちらは、中世から戦国時代の、武士・兵士を描いた「絵画〔絵詞・絵巻・屏風絵など〕 のどこをどう見ればどういう情報が得られるか」というテーマの本であり、「絵画をおもな史料とする中世甲冑史の解説書にも、中世合戦史の解説書にもなっている」(本書の「はじめに」) という一書です。

戦国期の絵画の展示物のある博物館などに行く際には、本書を携えて行く価値がありそうです。

 

 

 

 

鈴木眞哉 『鉄砲と日本人 ―「鉄砲神話」が隠してきたこと』 洋泉社 1997
鈴木眞哉 『刀と首取り ― 戦国合戦異説』 平凡社新書 2000
鈴木眞哉 『謎解き日本合戦史 ― 日本人はどう戦ってきたか』 講談社現代新書 2001

『鉄砲と日本人』 カバー写真『刀と首取り』 カバー写真『謎解き日本合戦史』 カバー写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴木眞哉氏のこの3著は、セットで読んでいただくのが良いかもしれません。この3著に一貫しているのは、日本の合戦の主武器は何であったのか、日本人が古来から好んだ戦闘法は白兵戦であったのか遠戦志向であったのか、というテーマです。

まずは 『鉄砲と日本人』 ですが、同書では、鉄砲が日本に登場して以来「一世代も経ないうちに日本国中あらゆる所で使用されるようになり、戦場の主役となった」のに、「世間に流布している戦国合戦譚には ―あの長篠の物語を除けば― さっぱり鉄砲が活躍する場面がない」。その矛盾に対し、多数の史料から読み解ける戦国合戦の実相を究明するため、軍忠状に現れている負傷原因の首位が鉄砲傷であったことを明らかにするとともに、戊辰戦争や西南戦争まで、鉄砲が主武器として愛用されたことを証明しています。

続く 『刀と首取り』 は、「わが国の主武器は、ずっと刀であったという、今も信じられている 『常識』」に、「日本刀こそは比類のない優れた武器であるという根拠のない思い込み」が付け加わって出来た、日本人の「チャンバラ幻想」を打ち破るための本です。前著で、実際には鉄砲が主武器であったことが証明されましたから、では刀はどう使われたのか、が本書のテーマであり、当時の日本の特異な風習、「首取り」のための武具であったことを明らかにしています。

さらに続く 『謎解き日本合戦史』 では、分析の対象範囲を、記紀の時代から日露戦争まで広げて、旧日本軍で強調された「白兵主義」はわが国古来の戦闘法ではなく、日本人はずっと遠戦志向であったことを論考しています。

この3著に共通して分析に使われているのが、軍忠状に現れた負傷原因の統計です。同様のデータが3著に使われていますが、微妙な差もあるので、3著中では最新の 『謎解き日本合戦史』 のデータを円グラフで示すと、以下のようになっています。(同書に掲載されている棒グラフと%の数字が微妙に異なっていますが、同書の人数の数字を使って円グラフ化しました。)

戦国時代の戦傷原因 グラフ

戦死の原因ではなく、戦傷の原因を見ているのは、「軍忠状の類では戦死者については原因が示されていない」ため (『鉄砲と日本人』)。

左のグラフで、矢疵より鉄砲疵の方が少ないのは、「鉄砲が普及する以前の史料が多いことによる」、「鉄砲疵が登場した以降だけの分を計算してみれば、… 全体の42%ぐらいを占める」(『謎解き日本合戦史』)ということなので、鉄砲登場後はやはり鉄砲疵が矢疵を抜いたようです。

矢疵・鉄砲疵・石疵の3種は遠戦用武器 (飛び道具) によるもの。その合計は全体のほぼ4分の3に達しています。接近戦での負傷 (鑓疵・刀疵等) は4分の1以下のみ、しかも、同様に接近戦であっても少しでも遠くから損傷を与えられる鑓疵が大多数で、刀疵比率はわずかです。鑓と刀が戦えば、鑓の方が強いのは明白です。

上述の通り、このグラフは戦傷原因のデータ、戦死者は入っていません。しかし、戦場で首を取られる者のうち大多数は、重傷を負って動けなくなったもののように見えた、との当時の証言があり、「おそらく、その大部分は鉄砲で撃ち倒されたものだったろう」(『鉄砲と日本人』)と思われることから、戦死原因も加えれば、鉄砲の効果は、左のグラフの数字以上のものであったと思われます。

信長が、早くから鉄砲を自ら学び、主力兵器として採用し、あるいは弓の上手は戦闘中も褒めて加増したりと、飛び道具に力を入れたり、接近戦用にも、槍は長いほうが良いと3間半の槍を採用したりしたことは、この戦傷原因データからすれば当然の方策であったことがよく分かります。

鈴木眞哉氏のこの3著作は、読んでいただく価値があるように思います。

なお、日本刀が、実際にそれを使用すると非常に曲がりやすく、中国の青龍刀などと比べ実戦には不向きであったことについては、山本七平 『私の中の日本軍』(上・下、初刊 文藝春秋社 1975、再刊 文春文庫 1983)の中の、「日本刀神話の実態」の章(下巻にあります)に詳しく説明されています。実質的には身分証明用の装身具または翫賞用の美術品で、実用兵器としては、合戦の主力兵器たりえず、首取り用程度にしか役立たなかったのであろうと思われます。

 

鈴木眞哉 『戦国軍事史への挑戦 ― 疑問だらけの戦国合戦像』 洋泉社 2010

『戦国軍事史への挑戦』 カバー写真

鈴木眞哉氏には、上掲の3著作以外にも、非常に多くの著作があります。その中で、戦国軍事史への理解を高めるという観点から価値があるものを、もう1冊挙げて置きたいと思います。

本書『戦国軍事史への挑戦』は、戦国軍事史を見るときに浮かんでくる疑問について、史料の中からできる限りの回答を得ようと著者が試みたものです。

概略、以下の疑問が扱われています。
① 軍隊の組織・構成、動員可能な兵力、戦闘員と非戦闘員
② 兵種区分、馬に乗れた者・乗れなかった者、各兵種の比率
③ 兵士の装備、装備の地域差
④ 軍役による動員、軍事訓練、軍令と規律保持
⑤ 戦法、軍隊移動、主要な武器の変遷と戦闘の様相
⑥ 武士の功名、認定方法
⑦ 死傷者と武器

上記の①~⑦は、本書の章番号です。⑥・⑦については、上掲3著作と重複する内容ですが、それ以外は、重複はあまりありません。上記のうち①~⑤は、ぜひ回答を知りたい疑問です。

しかし、本書の中では、「…ではないかと思われるのだが、それ以上はわからない」といった文章が頻出します。残念ながら、都合よく疑問を解消してくれる史料がないためです。このため、本書を読むと、疑問が残って不満に思われる方が少なくないかもしれません。そういう方には、本書は向いていないように思われます。

しかし、著者は、ここまでは分かる、「それ以上はわからない」というところまで突き詰めておられます。本書を読めば、ここまでなら分かっている、が分かります。どこまで分かっているのかは、本書を読んでみてください。

本歴史館では、「第3室 織田信長 3-10 桶狭間合戦 1 合戦の準備」のページで、本書から引用等を行っています。

 

 

次は、戦国群雄論や合戦物語という視点から離れ、中世を「自力社会」と捉え、村も武装権・築城権を持った「自力の村」であった、という観点から中世・戦国社会像を明らかにされた、藤木久志氏の著作についてです。