4-8 当時の城に関する資料・研究書

 

織田信秀・信長の居城、敵味方の城の位置などに関する確実な情報

織田信秀・信長を知ろうとすれば、信秀・信長が居城とした城、味方や家臣の城、攻撃対象にした城など、当時の城に関する情報は欠かせません。城跡が今も保護されていて位置が明確な城もあれば、正確な位置が不明な城もあります。現代の地名から勝手に推測すると、とんでもなく見当違いになることもあり得ます。当時の城に関する正確・確実な情報は不可欠です。

ここでは、信秀・信長と関わりのあった城についての資料・研究書で、本歴史館が参考にしたものをご紹介します。

 

 

千田 嘉博 『信長の城』 岩波新書 2013

千田 嘉博 『信長の城』 カバー写真

本書は、戦国時代の城郭研究の第一人者である著者による、書名通りの内容の著作です。「信長がどのような城にくらし、それをいかに変えていったのかを一貫して追求」し、「信長が生涯をかけてめざしたものを城から読み取」ることが本書の主題となっています(「はじめに」)。

本書で取りあげられているのは以下の各城です。
● 勝幡城
● 那古野城
● 清須城
● 桶狭間の戦い〔と善照寺砦〕
● 小牧山城
● 岐阜城
● 安土城

生まれ育った勝幡城から、最後に居城とした安土城まで、信長が暮らした各城の詳細が、最新の発掘調査結果を踏まえて考証されています。信長が移り住んだ各城の特徴を通して、信長の成長や考え方の変化が論究されています。織田信長に関し、本書は必読書のひとつと言えるように思われます。

本書の対象となった城のうち、勝幡城から小牧山城までは、すべて本歴史館のテーマの対象でしたので、本歴史館でも本書を大いに参考にさせていただいています。以下のページで、本書から引用等を行っています。

第2室 織田信秀 2-1 勝幡城の信秀

第3室 織田信長 3-9 信長の上洛と桶狭間合戦前の状況

第3室 織田信長 3-15 小牧山城への移転

● 第3室 織田信長 3-17 長島・北伊勢攻めと岐阜入り

 

仁木 宏・松尾 信裕 編 『信長の城下町』 高志書院 2008

織田信長のみならず豊臣秀吉・明智光秀も含む3大武将の、城下町に関する論考集です。下記の城下町が個別に論考されているほか、全体を俯瞰する論考も所収されています。主題は城下町ですが、城についても言及している論考もあります。

<本書で取り上げられている城と城下町>
● 信長: 小牧、岐阜、安土
● 秀吉: 長浜、姫路、大坂
● 光秀: 坂本

本歴史館では、とくに、本書所収の以下の2論考を参考にさせていただきました。
● 鈴木 正貴 「信長と尾張の城下町」
● 中嶋 隆 「小牧城下町」
● 内堀信雄 「井口・岐阜城下町」

本書からは、本歴史館中の以下のページで、引用等を行っています。

第1室 戦国尾張 1-3 斯波氏・織田氏と下津・清須

第2室 織田信秀 2-4 那古野城の奪取

第3室 織田信長 3-15 小牧山城への移転

第3室 織田信長 3-17 長島・北伊勢攻めと岐阜入り

鈴木正貴氏は、愛知県埋蔵文化センター員であり、「信長と尾張の城下町」では、下津・津島・清須・岩倉・那古野・津島・熱田・萱津の8つの地の中世~戦国期の景観復元が、最新の発掘調査の成果に基づいて論考されています。

小牧については、小牧市教育委員会の中嶋隆氏が、「小牧城下町」の中で、信長の時代の城下町と城について、やはり最新の発掘調査の成果を整理・論考されています。

日本の各所で戦国期の城や城下町の発掘がどんどん進展いるようですので、本書の後にさらに明らかになったこともあるかと思いますが、本書は本書発行時点までに判明している成果をわかりやすく提示してくれているものであり、読む価値ありと思われます。

 

愛知県埋蔵文化財センター 『研究紀要』に所収の松田訓・鈴木正貴両氏の論文

信秀・信長の地元である愛知県には、埋蔵文化財センター (略称:あいち埋文) という公益法人があり、縄文時代以来の県内のさまざまな時代の埋蔵文化財について発掘調査を行っています。すぐ上の 『信長の城下町』 の項に記しました通り、鈴木正貴氏は、このセンターに所属しておられます。このセンターが発行している 『研究紀要』 には、戦国時代の信秀・信長にも関連する内容の論文が、ときどき掲載されています。

愛知県埋蔵文化センターの 『研究紀要』 は、インターネット公開されていますので、どれもネットで読むことが出来ます。

本歴史館では、そのうち、下の論文を参考にさせていただきました。

松田 訓 「遺構からみた那古野城の残影」
(愛知県埋蔵文化財センター 『研究紀要』 第3号 2002)

名古屋の官庁街は、江戸期の名古屋城の三の丸地区ですが、「庁舎の新設・建て替えなどに伴って発掘調査」が行われるようになり、「近世の遺構を主体としながらも、戦国時代の遺構が溝を中心として確認される」こと、および溝から出土する瀬戸・美濃産陶器によって時期区分ができることから判明した、那古野城の発展段階が整理されています。

松田氏の本論文からは、「第2室 織田信秀 2-4 那古野城の奪取」のページで、引用等を行っています。

鈴木 正貴 「後期清須城本丸考」
(愛知県埋蔵文化財センター 『研究紀要』 第13号 2012)

江戸時代に描かれたいくつかの古城絵図や明治の地籍図、発掘調査結果などを元に、後期、すなわち織田信雄による改修から徳川義直による清須越しまでの時代の清須城の復元を行っています。

鈴木 正貴 「守護所下津の景観復元を考察する (2017年覚書)」
(愛知県埋蔵文化財センター 『研究紀要』 第18号 2017年)

明治の地籍図と発掘調査結果などから、尾張の守護所が置かれていた時代の下津の景観を復元しています。

鈴木氏の上掲2論文からは、「第1室 戦国尾張 1-3 斯波氏・織田氏と下津・清須」のページで引用等を行っています。

 

自治体史(県史・市史・町史)

本歴史館「第4室 6 自治体史(県史・市史・町史)」のページに書きました通り、自治体史はその土地の情報の宝庫です。信秀・信長が関わった城についても、その城があった地の自治体史から詳細情報が得られることが多くあり、本歴史館でも大いに参考にさせていただきました。

 

愛知県教育委員会 「愛知県中世城館跡調査報告 I~IV」 1991~1998

織田信秀および尾張時代の信長に関わりのあった城のうちで、有名なものであれば、元々の位置は良く知られています。しかし、さほど有名ではないものは、その正確な所在地はどこであったのか、インターネット検索では良く分からない、ということがしばしばあります。

そういうときに大いに役立つのが本資料です。信秀および尾張時代の信長に関わりのあった城となりますと、どうしても愛知県内、とくに尾張部にあった城が中心となります。本資料は、愛知県内にあった中世の城・武将の居館・砦を網羅しており、その各々について、絵図や資料、地籍図や発掘調査から判明している位置その他の情報が整理されています。

愛知県内の地域別に以下の4冊に分かれています。
I 尾張地区
II 西三河地区
III 東三河地区
IV 知多地区

城址碑が立っているからと言って、その碑の位置が実際の城の位置であったとは限りません。碑が立てられていない城もあります。愛知県内の城で、その城が正確にはどこの位置にあったのかを確認するには、本資料が一番確実です。本歴史館でも大いに参考にさせて頂きました。

ただし、本資料は一般に販売されているものではありませんので、閲覧するには、本資料を所蔵している図書館に行っていただく必要があります。

本歴史館では、下記のページで、本資料からの引用等を行っています。

第2室 織田信秀 2-9 三河攻め・竹千代奪取と小豆坂

第3室 織田信長 3-3 清須クーデター~清須城乗っ取り

第3室 織田信長 3-8 岩倉落城・守護追放・信勝殺害

 

 

次は、桶狭間合戦についてですが、余りにもおびただしい数の書籍が出版されています。本歴史館が参考にした、歴史的な事実を提供しているか、たとえ伝説に基盤を置いてはいても合戦の分析法が参考になるものについてご紹介します。