4-6 自治体史 (県史・市史・町史)

 

このページでは、県・市・町などが発行している自治体史のなかで、本歴史館が参考にしたものを整理しています。

 

 

自治体史 (県史・市史・町史) は、歴史情報の宝庫

自治体史は情報の宝庫だが、玉石混交

本歴史館のように、特定地域の歴史に焦点を当てる場合、その地域の自治体史(県史・市史・町史など)は、歴史情報の宝庫です。その地域の歴史を深く掘り下げているので、一般的な歴史書には出てこない情報がしばしば含まれています。文献史料のみならず、発掘調査の成果も取り込まれていることが多いので、より詳細な知識が得られます。

ただし、県史・市史・町史は、どの自治体のものも素晴らしい、というわけではありません。

そもそも、各市町村から必ずその自治体史が刊行されている、というわけではありません。未刊行の自治体もあります。最近の刊行ではなく、数十年前以上の刊行という場合もあります。刊行が古いと、最新の研究成果が含まれていない可能性は高くなりますが、刊行が古いからと言って、読む価値が低いとも限りません。その当時だからこそ伝えられていた地域の伝承がしっかり掘り起こされているものもあり、そうしたものは大いに読む価値があります。

市町村合併が自治体史の内容に影響を与える場合もあります。合併で市域が拡大した結果、合併後に刊行される市史のキメは荒くなりがちかもしれません。合併前の旧版の市史・町史の方がはるかに詳細である、という場合がしばしばあります。

また、どの時代に重点を置くか、執筆は誰に委嘱するか、は編集方針によります。信秀・信長の時代にはあまり紙数が与えれらていないものもあります。その自治体の領域内しか取り上げていないものもあれば、もう少し広い地域全体を記述しているものもあります。優れた研究者に執筆が委嘱されているものもあれば、そうとは言えないものもあります。旧説重視の保守的な執筆者もいれば、新説の紹介に意欲的な執筆者もいます。

全体として、自治体史は玉石混交、読んでみないと価値が高いか低いか分からない、と言えるように思います。

お金持ちの市が刊行した最近の市史は、レベルが高い

いろいろな自治体史を読んでみた結果、気づいたことですが、全体傾向としては、「お金持ちの市が刊行した最近の市史はレベルが高い」と言えるように思われます。

自治体史の編纂・刊行にも当然のことながらお金はかかります。しかも、書籍としては、ページ数に対しきわめて割安の定価で販売されます。財力のある市なら、良い執筆者をそろえて、内容には最新の研究成果を反映し、またその内容に見合った多くのページ数を配分したうえで、割安の定価をつけて売る、ということが可能になります。財力のある自治体の方が、編纂・刊行の予算が多く取れる、というのは仕方がないことのようにも思われます。

ただし、財力が必ずしも豊かとはいえない自治体史でも、あるいは、何十年か前に刊行されたものであっても、なかなか価値の高いものが現にあります。上記は、あくまで一般的な傾向とご理解ください。やはり、読んでみないと内容のレベルは分からないのが自治体史、と言わざるを得ないように思われます。

地元民は図書館で読めますが …

県史・市史・町史については、もうひとつ問題が一つあります。県史ならばともかくも、市町村史レベルとなると、おそらく同一または隣接の都道府県内でないと、図書館に蔵書がない、という可能性です。織田信秀および信長の尾張時代については、どうしても地元の愛知県民が圧倒的に有利、離れれば離れるほど不利になっていきます。ただし、国立国会図書館総合目録ネットワークに加わっている公共図書館であれば、取り寄せて読むことが可能ではないかと思います。

購入したい場合も、やはり地元民以外は不利になります。こうした自治体史は、通常の出版取次ルートに乗っていないことが通例であり、自治体自身の直接販売であることが多いためです。なお、現在販売中の自治体史は、その自治体のウェブサイトから購入方法が分かります。

本歴史館が参考にした県史・市史・町史

下のリストは、本歴史館が引用等を行っている県史・市史・町史です。

このうち、特に参考になったものに☆印をつけました。(あくまで、織田信秀・信長とその時代という狭い関心対象について、参考になったかどうかを評価していて、その自治体史全体についての評価ではありませんので、念のため。)

 

愛知県 全域

『愛知県史 通史編3 中世2・織豊』 2018 ☆

とくに村岡幹生執筆部分を中心に、参考に致しました。

村岡氏による執筆と思われる部分については、本歴史館中、多数のページで引用等を行っています。詳しくは「第4室 3-4 村岡幹生氏の著作」のページをご覧ください。

村岡氏以外の方の執筆と思われる部分については、下記のページで引用等を行っています。

第2室 織田信秀 2-3 三河の状況と守山崩れ・伊田合戦

第2室 織田信秀 2-5 三河攻め・安祥城の攻略

第2室 織田信秀 2-7 美濃攻め・大柿城奪取と5千人討死

第2室 織田信秀 2-9 三河攻め・竹千代奪取と小豆坂

第3室 織田信長 3-13 家康との清須同盟

 

『愛知県史 資料編 14 中世・織豊』 2014 ☆

『愛知県史』の本巻には、『信長公記』 の陽明本・天理本や 『松平記』 「名古屋合戦記」「清須合戦記」などが収録されていて、役立ちます。くわしくは、「第4室 4-1 『信長公記』 とその研究書」および「第4室 4-2 『三河物語』 など江戸初期史料」のページをご覧ください。

 

愛知県 尾張 - 旧愛知郡・山田郡・春日井郡

『新修名古屋市史 第2巻』 1998 ☆

『新修名古屋市史 第2巻』 函背写真

本巻は、平安時代末期から安土桃山時代まで、正確には、関ケ原合戦後に清須藩主となったものの病没した松平忠吉の治世までが、記述の対象です。名古屋市史であるため、記述の中心は名古屋市となっていることは避けられませんが、実際のところ名古屋は尾張の中心地であるため、本巻の記述の範囲は、各所で尾張全体に及んでいます。

本巻中、本歴史館がとくに参考にしたのは、下記の部分です。本歴史館の本文中の各所で引用しております。

 

「第1章 中世の尾張 - 平野と台地に刻まれた歴史」のうち、上村喜久子氏 執筆部分
(中世尾張国の領域などが記述されています)

第1室 戦国尾張 1-1 干拓地はまだ海の中

第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道

第1室 戦国尾張 1-4 尾張の上4郡・下4郡

第3室 織田信長 3-1 今川の八事出陣

第3室 織田信長 3-13 家康との清須同盟

 

「第6章 戦国の争乱と尾張」のうち、下村信博氏 執筆部分
(織田信秀が記述の中心です)

第1室 戦国尾張 1-3 斯波氏・織田氏と下津・清須

第2室 織田信秀 2-1 勝幡城の信秀

第2室 織田信秀 2-3 三河の状況と森山崩れ・伊田合戦

第2室 織田信秀 2-4 那古野城の奪取

第2室 織田信秀 2-5 三河攻め・安祥城の攻略

第2室 織田信秀 2-6 万松寺創建、伊勢神宮・皇居進上

第2室 織田信秀 2-8 古渡城の信秀と信長の元服・初陣

第3室 織田信長 3-10 桶狭間合戦 1 合戦の準備

第3室 織田信長 3-12 桶狭間合戦 3 義元の敗因

 

「第6章 戦国の争乱と尾張」のうち、千田嘉博氏 執筆部分
(戦国期の名古屋市域の城館が記述されています)

第2室 織田信秀 2-12 末盛城の信秀と健康問題

第3室 織田信長 3-5 信勝との反目と喜六郎横死事件

全体に、きわめてレベルの高い、優れた研究書であるように思われます。

 

『新修名古屋市史 資料編 考古2』 2013 ☆

本巻は、「資料編 考古2」という書名ですが、「名古屋市内の中世城館跡」「戦国那古野城の復元」「桶狭間の戦いに関連する遺跡・伝承地・記念碑」といった内容も含まれており、本歴史館で参考にしています。

本巻からは、以下のページで引用等を行っています。

第3室 織田信長 3-2 政秀の諫死・道三との会見・赤塚合戦

第3室 織田信長 3-7 稲生合戦と側室

 

『西区70年のあゆみ』 1978

名古屋市西区の区史です。稲生合戦の古戦場の位置の確認に活用しました。

 

『守山区誌』 2013

名古屋市守山区の区制50周年記念事業の中で刊行されたものです。守山城に関連し、城の南を流れる矢田川の戦国期の河道について、本書中に史料を示した記述がありましたので、「第3室 織田信長 3-5 信勝との反目と喜六郎横死事件」のページで引用等を行っています。

 

『清洲町史』 1979

清洲町は、平成の合併で清須市となりましたが、本書は、清洲町時代に発行された町史です。

町史とはいうものの、実質は論文集と言ってもよい内容であり、本歴史館と関連のあるものとしては、下記が所収されています。

● 清須城跡の遺構(大参義一)
● 尾張における守護支配(上村喜久子)
● 織田系譜に関する覚書(新井喜久夫)
● 牛一本「信長記首巻」の性格について(小島広次)

 

『豊明市史 本文編』 1993

沓掛城の城主の系譜、沓掛城の発掘調査で判明したことなどについての記事があります。

 

『瀬戸市史 通史編 上』 2007

『信長公記』 の記事では年代特定が困難な事件について、研究者が年代特定に使用することが多い「定光寺年代記」が、『瀬戸市史』 の史料編に収録されています。

通史編の本文中には、瀬戸市域にある戦国期城館の所在と館主がリストに整理されており、また「定光寺年代記」に関する記述もあります。

 

『春日井市史 本文編』 1963

信長が領有していた「篠木三郷」についての記述があり、「第3室 織田信長 3-7 稲生合戦と側室」のページで引用等を行っています。

 

『西春日井郡誌』 1923

大正時代に刊行されたものです。名塚砦の位置を確認するのに参考にしました。「第3室 織田信長 3-7 稲生合戦と側室」のページで引用等を行っています。

 

愛知県 尾張 - 旧丹羽郡・葉栗郡・中島郡・海東郡・海西郡

 

『岩倉市史』 1985

岩倉の織田氏(伊勢守系)の系譜、岩倉城、浮野合戦と落城、などが記述されています。ただ、本歴史館本文でも触れました通り、浮野合戦については、歴史小説である 『甫庵信長記』 をさらに膨らませた 『総見記』 ベースの記述となっており、適切とは言えないように思われます。

 

『犬山市史』 1997

犬山織田氏、楽田織田氏、犬山落城、などに関する記述のほか、横山住雄氏が執筆した犬山城に関する記述(詳しくはこちらをご参照ください)もあります。

 

『尾西市史』 1998 ☆

この 『尾西市史』 には、信長と道三との面会について、また面会場所となった冨田の聖徳寺について、さらには、冨田村が水没してしまった天正14年の木曽川大洪水に関する伝承について、豊富な記述があります。本歴史館でも、『尾西市史』 は大変に参考にさせていただき、以下のページで引用等を行っています。

第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道

第3室 織田信長 3-2 政秀の諫死・道三との会見・赤塚合戦

なお、尾西市は、平成の大合併の結果、2005年に一宮市に併合されてしまいました。

 

『木曽川町史』 1981

この 『木曽川町史』 では、黒田城跡、黒田城の城主その他黒田城に関わる諸人物、その一人で黒田城で生まれたとされる山内一豊、などについての詳細な論究があります。本歴史館でも、黒田城については本書を参照し、「第3室 織田信長 3-15 小牧山城への移転」のページで引用等を行っています。

なお、木曽川町も、平成の大合併の結果、やはり2005年に一宮市に併合されてしまいました。

 

『大治町史』 1979 ☆

弾正忠家3者連合と清須のクーデター派との間で、この町域内で戦われた、萱津合戦・馬島の合戦(=深田・松葉両城の争奪戦)について、地図入りで詳細な記述があります。この地図は、本歴史館の「第3室 織田信長 3-3 清須クーデター~清須城乗っ取り」のページで引用させていただいています。大変に参考になります。

 

『弥富町誌』 1994 ☆

尾張国の海西郡は、一向宗門徒の地域であり、信秀・信長の支配には服さず、「ニの江の坊主」服部左京亮に従っていました。長島を含めこの地域の独自性、服部党の信長との対立抗争、1574(天正2)年の壊滅までを記述しています。服部党についての記述がある本は少ないため、この『弥富町史』は大変に参考になりました。本歴史館の「第3室 織田信長 3-8 岩倉落城・守護追放・信勝殺害」のページで引用等を行っています。

 

『東浦町史』 2000 ☆

村木砦について 『東浦町史』 を参照、参考にさせていただきました。村木砦の東側と北側が戦国期まで海であったことは、江戸期の新田開発に関する記述から確認できました。「第3室 3-4 村木砦の戦いと西尾(八ツ面)出陣」のページで引用等を行っています。

 

愛知県 三河

『新編安城市史 1通史編 原始・古代・中世』 2007 ☆

村岡幹生氏の執筆部分を大いに参考にさせていただきましたが、他の執筆者による執筆箇所もあります。詳しくはこちらをご覧ください

 

岐阜県(美濃)

『岐阜市史 通史編 原始・古代・中世』 1980 ☆

勝俣鎮夫氏の執筆部分で斎藤道三が論究されています。大変に参考になりました。本歴史館の以下のページで、引用等を行っています。

第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道

第2室 織田信秀 2-7 美濃攻め・大柿城奪取と5千人討死

第2室 織田信秀 2-10 美濃攻め・西濃攻め後の大柿落城

第3室 織田信長 3-6 舅・道三の死(長良川合戦)

第3室 織田信長 3-16 犬山落城と中美濃進出

第3室 織田信長 3-17 長島・北伊勢攻めと岐阜入り

 

『岐南町史 通史編』 1984 ☆

木曽川の河道に関し、中世における承久の乱や南北朝動乱、信長の河野島の戦いなどについて、大いに参考になりました。本歴史館の下記のページで、引用等を行っています。

第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道

第3室 織田信長 3-16 犬山落城と中美濃進出

第3室 織田信長 3-17 長島・北伊勢攻めと岐阜入り

 

『各務原市史 通史編 自然・原始・古代・中世』 1986

木曽川の河道についての記述があり、「第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道」のページで引用等を行っています。

 

『川島町史 通史編』 1982

木曽川の洪水、信秀・信長の美濃進攻、松倉城と城主坪内氏などについて記述があります。なお、川島町は、平成の大合併の結果、2004年に各務原市に編入されました。

 

『羽島市史 第1巻』 1964

木曽川の河道について確認するために参照しました。「第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道」のページで引用等を行っています。

 

『海津町史 通史編 上』 1983

やはり木曽川の河道について確認するために参照しました。「第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道」のページで引用等を行っています。なお、海津町は、平成の大合併で、2005年に同じく海津郡の平田町・南濃町と合併し、海津市となっています。

 

『大垣市史 通史編 自然・原始~近世』 2013

揖斐川の河道の変化について確認するのに役立ちました。戦国期に関する記述は豊かとはいえないように思われます。「第1室 戦国尾張 1-2 国境と木曽川の河道」のページで引用等を行っています。

 

 

次は、本歴史館が参考にした織田氏と信秀・信長に関する資料・研究書のうち、すでに紹介してきました同時代史料、横山住雄氏・村岡幹生氏・小和田哲夫氏の著作や自治体史以外のもの、についてです。