4-5 小和田哲夫氏の著作

 

戦国全般と今川氏は、何といっても小和田哲男氏

小和田哲男氏と言えば、戦国時代の研究者として大家であり、加えて説明も要領を得ていて分かりやすいのでテレビ出演も多く、大変に高名な方であり、もちろん同氏の著作は参考になります。本歴史館でもその著書のいくつかを大いに参考にさせていただきました。以下は、本歴史館で参考にした小和田氏の著作ですが、著書も大変に多い方ですので、他にも良い本が多数あるのではないかと思います。

 

 

小和田哲男 『東海の戦国史 - 天下人を輩出した流通経済の要衝』 ミネルヴァ書房 2016

小和田哲男 『東海の戦国史』 カバー写真

本書の記述の対象地域は、現在の県名では、三重・岐阜・愛知・静岡(伊豆を除く)の東海4県です。時代としては、応仁・文明の乱から大阪の陣までが扱われています。すなわち、今川氏・斯波氏・土岐氏などの守護、斎藤氏・松平氏・織田氏らの戦国武将、そして天下人となった織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らの全てが登場人物です。

まさしく東海の戦国史を概観した一書であり、しかも、過不足なく大変に分かりやすく全体像が示されている、という点が優れていると思います。

「はしがき」には、「本書ではできるだけ最新の研究成果も反映していくつもりである」と書かれていますが、実際に、見るべき新説が多数取り上げられています。当歴史館も、松平広忠は織田信秀に降参して竹千代を人質に差し出したという村岡幹生氏の説は、本書で知りました。こうした最新の研究成果が大いに紹介されているという点でも、本書は非常に価値があります。

信秀や信長、松平氏などがそのとき具体的に何をしていたかを知りたいとき、横山住雄氏や村岡幹生氏の著作が最も役に立ちます。しかし、同じときに周辺では何が起こっていたのかを確認しようとすると、本書が大いに役立ちます。

本書は、織田信秀および信長の尾張時代を知るうえで、間違いなく、非常に読む価値の高い一書であると思います。

本歴史館でも、以下の通り、各所で本書から引用等を行っています。

第1室 戦国尾張 1-3 斯波氏・織田氏と下津・清須

第1室 戦国尾張 1-4 尾張の上4郡・下4郡

第2室 織田信秀 2-5 三河攻め・安祥城の攻略

第2室 織田信秀 2-7 美濃攻め・大柿城奪取と5千人討死

第2室 織田信秀 2-8 古渡城の信秀と信長の元服・初陣

第2室 織田信秀 2-9 三河攻め・竹千代奪取と小豆坂の戦い

第2室 織田信秀 2-11 道三との和睦、信長の結婚・濃姫

第2室 織田信秀 2-13 今川の攻勢・三河の喪失

第3室 織田信長 3-1 今川の八事出陣

第3室 織田信長 3-3 清須クーデター~清須城乗っ取り

第3室 織田信長 3-4 村木砦の戦いと西尾(八ツ面)出陣

第3室 織田信長 3-6 舅・道三の死(長良川合戦)

第3室 織田信長 3-8 岩倉落城・守護追放・信勝殺害

第3室 織田信長 3-10 桶狭間合戦 1 合戦の準備

第3室 織田信長 3-11 桶狭間合戦 2 合戦の経過

第3室 織田信長 3-13 家康との清須同盟

第3室 織田信長 3-15 小牧山城への移転

第3室 織田信長 3-16 犬山落城と中美濃進出

第3室 織田信長 3-17 長島・北伊勢攻めと岐阜入り

 

小和田哲男 『今川義元 - 自分の力量を以て国の法度を申付く』 ミネルヴァ書房 2004

小和田哲男 『今川義元』 カバー写真

本書は、義元研究の第一人者である著者による、今川義元の評伝です。

本書の「はじめに」で、著者は、次のような趣旨を書いています。

今川義元の武将としての評価は芳しくない。”軟弱武将”のレッテルが貼られてしまっている。おそらく、桶狭間の戦いのぶざまな負け方が関係している。しかし、戦国大名権力論の立場からの評価はかなりちがっている。太原崇孚、すなわち雪斎という名補佐役を得て、外交軍事はもとより、領国経営のさまざまな面で、戦国大名として第一級の施策を推進していた。

そして、本書の「おわりに」では、

今川義元の領国経営は、武田氏や北条氏に与えた影響も大きなものがあった。それら先進的戦国大名の領国経営を基礎に国づくりを進めた徳川家康にも受けつがれていた。

織田信秀・信長父子の事績を確認しようとすれば、今川義元との長年の抗争もその不可欠の要素です。その点から、信秀・信長に強い関心を持つ人にとっては、義元についても知っていることが望ましく、その点で本書も必読書の一つである、と申し上げられます。

本歴史館でも、以下のページで、本書からの引用等を行っています。

第2室 織田信秀 2-1 勝幡城の信秀

第2室 織田信秀 2-13 今川の攻勢・三河の喪失

第3室 織田信長 3-10 桶狭間合戦 1 合戦の準備

第3室 織田信長 3-11 桶狭間合戦 2 合戦の経過

第3室 織田信長 3-12 桶狭間合戦 3 今川義元の敗因

 

 

小和田哲男 『今川義元 知られざる実像』 静岡新聞社 2019

2019年は今川義元の生誕400年、ということで出版されたようです。内容としては、今川氏の歴史、戦国期の今川氏、今川義元と徳川家康、駿府今川館および掛川城・吉田城、桶狭間合戦等に関し、著者が1979~2017に各所で発表した論考を集めたものです。論考集ですので、内容が系統立っているわけではありません。

前掲の 『今川義元 - 自分の力量を以て国の法度を申付く』 と重複している内容も少なくないのですが、全く重なっていない内容も少なからずあります。例えば、徳川家康関係のこと、駿府今川館関係のことなどは、前掲書には含まれていません。

今川義元の全体像を知るためには、まずは前掲のミネルヴァ書房刊の評伝の方をお勧めしますが、本書も、前掲書を補足するものとして、十分に読む価値あり、と思われます。

本歴史館では、下のページで本書から引用等を行っています。

第3室 織田信長 3-12 桶狭間合戦 3 今川義元の敗因

 

小和田哲男 『軍師・参謀 - 戦国時代の演出者たち』 中公新書 1990

小和田哲男 『軍師・参謀』 カバー写真

今川義元という戦国大名に関心を持つと、どうしても、その名補佐役であった太原崇孚、すなわち雪斎という人物への関心も持たざるを得ません。上掲のミネルヴァ書房版 『今川義元』 の中にも雪斎に関する記述はありますが、やはり義元に焦点が当たっているので、限界があります。そこで、雪斎をもっとよく知りたいと考えて本書を読みました。

本書の前半、およそ半分強の分量は、そもそも戦国時代までの軍師はどのような存在・役割であったのかについての論究です。後半では、戦国期の軍師として、雪斎・山本勘助・竹中半兵衛・黒田官兵衛らが取り上げられ、記述されています。

本書を読んで、戦国期の前半までは、軍師とは占師のようなものであった、ということを知りました。軍配者(ぐんばいしゃ)と呼ばれ、占師・祈祷師・陰陽師のような存在で、合戦の日時・方角を占い勝利の祈願を行うことが主任務であったようです。源頼朝が伊豆旗揚げのときにも、挙兵の日時の占いと祈願を神官兼陰陽師に行わせたと言います。

中世に軍師を養成したのが足利学校や禅宗寺院で、戦国武将の軍師には足利学校の出身者が少なくなかったようです。足利学校では、軍配者に最も必要な易学教育に加えて、三注四書六教などの漢籍に含まれる兵学も講ぜられ、兵学の知識も持っていたようであり、禅宗寺院でも易学・兵学が研究されていたようです。

雪斎は、「単なる軍師〔=軍配者〕から参謀に転化していく」過程の人物で、他家(『甲陽軍鑑』)からも「今川家の事、悉く坊主〔=雪斎〕なくてはならぬ家と諸人思い候て」と評されたただけでなく、真価は合戦にあって「雪斎は自分が建仁寺や妙心寺などで得た兵学の知識を…実際の合戦の場面において応用してみせた」のであり、「雪斎を失った今川氏が急速に衰退していった」と著者は評しています。

本書は、雪斎をもっと知るためにも、また戦国前半までの合戦の進め方を知るためにも、価値のある一冊であると思います。

本歴史館では、下のページで、本書から引用等を行っています。

第3室 織田信長 3-4 村木砦の戦いと西尾(八ツ面)出陣

 

 

次は、本歴史館の制作にあたって参考にした、県史・市史・町史などの自治体史についてです。